2018年5月24日木曜日

SysML初級講座 第2回 システム・モデリング誕生前夜の状況 ①


システム・モデリング誕生前夜の状況   ①

Mars (火星)
システム・モデリング誕生前のシステム設計の状況を端的に示す1つのエピソードとして、「火星探査衛星 Global Climate Orbiter失踪事件」を見て見ましょう。

火星探査衛星 謎の失踪事件 (1999年)

これは今から20年以上前に起こった事件で、地球から打ち上げられた火星探査衛星が数ヶ月間に渡る惑星間飛行の末、ようやく火星付近まで到達し、いよいよ火星を周回する軌道に入ろうとしたとき、突如消息を絶ってしまった出来事です。

事件の背景

この事件のことを語る前に、事件からさらに30年さかのぼった所からお話しした方が概要が掴みやすいかと思われます。

事件の30年前は米ソの冷戦時代でした。冷戦下のアメリカとソ連は宇宙開発分野でも激しい競争をが繰り広げられており、火星への到達も一つの競争テーマであり、アメリカ側はマリナー計画、ソ連側はマルス計画などが打ち建てられ、次々と火星ロケットを飛ばしていました。
この頃、1960年代は、両国の技術水準では、火星着陸なんていうのははるか夢の夢の物語で、数ヶ月間に渡る惑星間飛行の末、光の速度でも10分以上かかる遠い火星までようやくたどり着いても、そこで急にスピードを緩める方法はなく、せいぜい火星の近傍を通過する際、通りすがりにいきなり写真をパシャパシャ撮って地球へ送り、探査機はそのまま太陽系の彼方へ飛んで行ってしまうと言うもので、いわばパパラッチ型の調査方法でした。
それでも、初期の頃は、火星どころか地球の重力圏内すら脱出できない、つまり地上に落下するケースが続いていました。

火星の周回軌道に探査機を投入することに成功したのは70年代に入ってからで、1971年11月13日にアメリカのマリナー9号が世界で初めて火星周回軌道に入ることに成功しました。
そして、そのわずか2週間後の11月27日には、ソ連のマルス2号が周回軌道に入ることに成功し、そのマルス2号は、火星着陸機を投下したのですがこちらの方は墜落してしまいます(世界初の人工物の火星到達)。

この頃までは米ソともほぼ互角の競争をしていました。 しかし、70年代の後半あたりから、バイキング計画を擁したアメリカはソ連に対し大きく水を開け始め、ソ連崩壊後の90年代の火星はアメリカの独壇場となって来ました。

首記の事件が起こる直前の1997年には、火星を回る探査衛星 - Mars Global Surveyor- の観測結果をもとに、火星の詳細な地図を作成することに成功し(現在出回っている市販の火星儀も、この時のデータを使ったものが多いようです)、また地表探査機 - Mars Pathfinder - を無事に軟着陸させ、地表の映像や地質情報を地球に送っています。

火星探査衛星の歴史
そして、1999年、今回の主役 Mars Climate Orbiter(直訳すると火星気象衛星、以下MCOと略)の番が回ってきます。
MCOは前回のMars Global Surveyor (以下MGSと略)と同じく火星の周回軌道を回る人工衛星ですが、MGSが火星の地表面の詳細な地図を作成することを主眼にしたものであるのに対し、MCOは火星により近い、より低い高度を周回し、火星の大気を観測することを主なミッションとしていました。

そして、その人工衛星そのものは火星の大気観測のために新たに設計開発された機体を使うものの、地球局側の設備は前回のMGOで使ったものを再利用することが決定されていました。(このような再利用のアプローチは宇宙開発に限らずシステム開発ではよく行われる手法です。)
そして、もう一つの特徴としてここにあげておきたいのは予算です。MCOの予算はMGSに比べ大きく削減されていました。(このMCOの失敗は、システム開発においてコスト削減がいかに大きな技術的チャレンジでもあるかを広く世間に認識させた事件でもありました。)

事件の概要

MCOは前年の98年12月11日に米国フロリダ州から打ち上げられた後、およそ10ヶ月の惑星間飛行のすえ、9月23日に火星に到達し、周回軌道へ進入するためスラスター(ロケット・エンジン)を約16分噴射させました。
軌道修正の結果、MCOは火星の(地球から見て)裏側へ予定より若干早く消えて行きましたが、予定では10分ほど後には再び姿を現し、地球に信号を送ってくるはずでしたが、二度と姿を現わすことはありませんでした。

(続く)




 


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