2016年7月7日木曜日

そして、神戸 ⑵

そして、神戸 続き 

百発百中の砲一門は、百発一中の砲百門に勝る

神戸港 
高校の時聞いた左記の言葉は、妙に印象に残っています。
第二次大戦の頃は、時の東条英機(ひでき)首相以下、政治家・軍人もこの言葉を(肯定的に)言及していたそうです。
当時高校生だった筆者が引かれたのは、そういった歴史的事実ではなく、単純にこの言葉が確率的に正しいか? と言う問題でした。
よく知られているように、この言葉は確率的に妙な所があります。
簡単な思考実験をしてみましょう。

この言葉には、命中率と大砲の数しかあげられていませんので、他の条件は全て同じと仮定します。
まず、味方側には百発百中の大砲1門が配備され、敵側には百発一中の大砲が100門配備されているとします。
当時の大砲は(今の大砲もそうですが)、発射してから着弾するまで数秒から数分までの時間を要しますが、その到達時間は両者とも同じとし、また発射準備に要する装填時間も同じとします。
そうして、両者一斉に打ち始めるとすると、味方の百発百中の大砲から出た弾1発は確かに相手に命中しますが、敵方からも100発の弾が飛んで来ます。ほとんどが外れますが、確率的にはそのうちの1発が命中することになり、期待値計算では、双方が初弾を打ち合った段階 ー ここでは第1回戦と呼びます ー では、味方は1門しかない虎の子の大砲が被弾するのに対し、敵方には99門の無傷の大砲が残ることになります。

言うまでもなく、戦いの勝敗は、兵器の性能だけでなく、地勢や天候あるいは戦い方、作戦、将兵の士気など様々な要因に大きく依存しますので、一概に決められませんが、一般化した思考実験あるいは確率統計的なアプローチが大局的、長期的な予測には極めて有効であることがよく知られています。

さて、当時の日本軍は奇襲作戦や先制攻撃を重視していたと聞いていたので ー (ちなみに、あまりにそれを重視し過ぎたために攻撃がワンパターン化してしまい、のちには、敵に攻撃パターンを完全に読まれてしまい逆に奇襲攻撃を待ち構えられて迎撃されると言う皮肉な結果となり、それでもそのワンパターンな攻撃を繰り返したために、敵を気味悪がらせたと同時に、日本軍の将校は無能であるという悪評の一因にもなったようです)ー 敵の攻撃準備がととのわないうちに敵の戦力を破壊しておいてから撃ち合う事を前提とした言葉ではないかと思って、まず先に敵の大砲50門を破壊してしてから撃ち合うシナリオを考えましたが、仮に大砲1門対50門で戦っても結果に大差はありませんでした。
つまり、双方の第1発目で、味方の大砲は50%の確率で被弾し、敵は1門が破壊されます。2回戦目では、味方は敵の大砲2門を破壊するのに対し、敵からは49発の弾が飛んできます。つまり、味方は2発目までの間に99%被弾する(命中率100分の1の弾が99発飛んでくる)計算になり、3発目にはもはや生存確率は絶望的な数字になります。

【夏休みクイズ】
百発百中の大砲1門で優位に立つには、敵の大砲をいくつ事前に破壊しておけば良いでしょうか?
(解答は、次回以降そのうち)

従って、 大砲1門で勝つには、敵の大砲がマヌケにも一箇所にまとめて配備されており、一撃で敵の大砲100門が全滅するというような、漫画のような状況を昔の人は考えていたのではないだろうか、それでも相打ちどまりだけど、と当時高校生だった筆者は考えました。
 実際問題として、第二次世界大戦の日本軍も、このような推移、つまり兵器の優秀さや日本兵の士気は高かったが、物量豊かな兵力を散開する米軍に、時間の経過とともに負けていった経緯と妙に被ります。。

さて、今改めて考えてみると、どうでしょうか?
まず前半の部分ですが、高校生の推察は大間違いです。 むしろマヌケな漫画みたいな、と評した構図の方が事実に近かったでしょう。
少なくとも、この言葉が誕生した時点では、もっと真っ当な意味を持っていたようです。
つまり、この言葉はもともとは東郷平八郎の日本海海戦の状況を想定した言葉であり、船に大砲を載せて打ち合う場面で、昔の大砲の弾でも、当たりどころによっては船は大破し、航行不能、あるいは戦闘不能に陥っていました。実際にも軍艦の弾薬庫に火が回って一撃で沈没してしまった例もあったようです。
従って、大砲が100門あっても一撃で戦闘能力を失いうるわけで、たとえ数字上は互角であっても、少数だが命中率の高い方を取るというのは、決して珍説ではなく、実戦経験豊富な将軍の言葉は重みがあります。
戦史に疎いのでよくわかりませんが、日露戦争時の大砲はほとんど人手で操作しており、多数の砲を操るにはそれなりの人数が必要であって、大砲の数が増えれば増えるほど、その指揮系統は極めて煩雑なります。
また、写真で見る当時の軍艦はいかにも貧弱であり、多数の大砲を同時に撃って果たして船体がその衝撃に耐えられるのかも疑問です。
さらに、当時、戦艦などの日本の軍備はほとんどが外国製であり、勝負は兵の熟練度と指揮官の用兵の腕にかかっており、将兵はそのことを熟知していた、という点も挙げられるでしょう。


続く

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