2012年7月2日月曜日

原発事故に対するシステム工学の視点 8

定泉寺の紫陽花
紫陽花の季節がやってきました。
紫陽花と言うと、筆者がすぐに思い出す和歌があります。
小野小町の、
花の色は 移りにけりな いたずらに
我が身よにふる ながめせしまに

と言う古今集の歌ですが、百人一首にも含まれ、読者の方々にも馴染み深い歌だと思います。
この歌は、教科書的には、花は桜を意味し、花を自分の容姿にたとえ、「ぼーっとむなしく物思いに耽っているうちに、すっかりおばさんになってしまったわ。」という女性の嘆き風に解釈されています。

 筆者は高校時代よりこの解釈が気に入らず、今から20年以上前に、わざわざ自説を述べるために「小野小町研究」というサイトを立ち上げたほどです。
当時はまだインターネットの黎明期でネットワーク機器は大変高価でしたが、幸い筆者はシリコンバレーのネットワーク・ベンチャーに勤務していたので、機器をそろえることだけは簡単に(廉価に)出来ました。
まだグーグルなどの検索サービスもなく、仲間内だけが見に来るサイトでしたが、なかなか結構好評でした(自己満足です)。

さてこの歌の意味ですが、筆者は花を桜ではなく紫陽花と解釈します。
そして、「花の色が移る」ことで、相手の心変わりを暗示し、「私がむなしく物思いに沈んでいる間に、あなたは簡単に心変わりしたのね」と相手を軽く批難する意味になります。
つまり、相手が調子に乗らないように、わざとネガティブなフィードバックを行なって(負帰還をかけて)、「僕のどこがいけなかったんだろう?」と反省を促し、相手の心をコントロールているわけです。

論拠としては、植物や気象の性質、そして美学上の問題があります。
まず、桜と言う花は、色が移る(衰える)よりも前に散ってしまう花、最も美しい盛りに散ってしまう花であり、おばさんを喩えるには不向きです。
また、「ながめ」は「眺む(物思いに耽る)」と「長雨」を掛けた言葉と解釈されますが、桜の花の季節は天候が荒れやすく、長雨というおとなしい降り方ではなく嵐になりやすいことは皆様よくご存知だと思います。
長雨は桜に似合いません。合うとすれば梅雨の紫陽花の方でしょう。
 さらに、古来、女性の美しさは、よく花に喩えられますが、自分で喩えてしまっては(強い女性を好む一部の男を除き)興ざめです。
これは平安時代の女性たちが持っていた’女の美学’にも反します。
そしてまた、筆者の解釈の方が「いたずらに」という言葉がより生きてきます。
「いたずらに」は前半の相手の簡単な心変わりをなじるユーモラスな意味と、後半のむなしい無常観の表現の両方にかかっています。

恐らく、小町の花を桜と誤って解釈した背景には、古今集編纂の頃のフォーマリズム(形式主義)を尊ぶ気風があったと思います(今に続く、花を条件反射的に桜に分類してしまう習性)。

心を花に喩える類例は、小町の他の歌にもあります。

見えで うつろふものは 世の中の 人の心の 花にぞありける



前回は、抽象思考、システム思考の問題の話をしましたが、その続きです。

原発事故から一年以上経った今、原子力発電所システムそのもののチェックだけは行い、メルトダウン等の重大事故後の社会システム的な体制づくりは行なっていないようですが、これはある意味、非常に日本的な対応と言えます。
一言で言えば、アプローチが非常に分析的、分解的です。
「今回の事故の原因は、原子力発電所の脆弱性にあった。従って、発電所の堅牢性を上げよう。」と言うアプローチです。
このアプローチは、規模の小さいもの、安全性に対する影響が小さいものに対しては有効ですが、複雑度が高い、あるいは影響度が巨大なシステムに対しては不十分です。

簡単な例をあげて考えてみましょう。
平均故障間隔(MTBF)あるいは平均故障時間(MTTF)と言う言葉があります。
これは、どのぐらいの間隔で故障が発生するかを示す指標で、仮に平均故障間隔が100年と言うと、100年に一回の割で故障が発生する事を意味します。
一般的に言って、構造が簡単で熱や力の作用を受けないもの、例えば半導体回路などでは、長期の平均故障間隔、例えば100年以上、を達成する事は比較的容易ですが、モーターなどのように動きがあったり、ソフトウェアのように構造が複雑なものは、平均故障間隔をのばす事は極めて困難になって来ます。
一般的に言って、平均故障間隔 100年の機械を、単体で1000年にのばすには多大なコストと時間がかかります。
しかし、これを二重化すると 話はがらっと変わってきます。
平均故障間隔100年の2つの装置が同時に壊れない限り安全とし、壊れた装置の取り替えに1日を要するシステムを考えます。
すると、1年間で2つの装置が同時に壊れる確率は、
となり、平均故障間隔はこの逆数ですから365万年 ー つまり365万年に一度だけ2つ同時に壊れる事となります(簡略化のために他の因子を無視しています)。
実際のシステムは、もっと複雑なのでこれほど単純には伸びませんが、多重化、多段化の威力はお分かりになったかと思います。

設計時の平均故障間隔と言う観点で見れば、日本の原発は1000年に満たない短いものであった事は、このブログの1回目に指摘したとおりですが、その上、後段つまり事故発生後の対策が全く準備されていないと言うものでした。

巨大システムでは、品質や安全は分析的手法では不十分で、統合的、つまり品質や安全を作り上げて行く手法が必要となって行きます。

先に、原発問題のアプローチは、非常に日本的であると述べましたが、これに関しては次回触れたいと思います。

(続く)








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