プロマネBlog
2008年02月28日
筆者は、仕事上あまり時事問題とかかわることがないので、忙しくなると真っ先にニュース類を見なくなって行く傾向があります。
特にここ1、2ヶ月はニュースと言うとたまにネットで見出し記事を読む程度でした。
従って、読者の中に、時事問題に強くなろうと思ってこのブログを読んでいる方がいたとしたら(多分いないと思いますが)、報われる日は永遠に来ないであろうことを、老婆心ながら、あらかじめお断わりしておきます。
さて、大部分の方にとっては恐らく旧聞に属する事柄だと思いますが、先日、友人と ”スキーに行きたいな〜”と言う立ち話をしていた時に、昨今、ちまたで捕鯨が大きな話題になっているということを耳にしました。
何でも、日本とオーストラリアの間で激しいサイバーバトルも繰り広げられたそうです。
そして、いわゆる環境テロリストと呼ばれるグループを支援している企業が日本にも上陸して来ており、友人もその会社の商品(アウトドア用衣料)を偶々買っていた、という話になりました。
筆者も、昔から山登りをしていたせいで、アウトドア用の衣類をいくつか持っています ーー というよりも、山だけでなく、自転車に乗るときの街着にもなっており、親しい取引先にはそのままその格好で行ったりするので、ビジネスウエアにもなっており、ーー 世間一般よりは、たくさん持っているかもしれません。
アウトドア用衣料といっても種類は多くあり、若いときは何を着てもそこそこ似合うものですが、年を取り40を超え出すと、着るものによっては、年齢以上に老けてみすぼらしく見えたり、逆にやけに浮いた感じになったりで、選択がだんだんと難しくなってきます。
筆者が始めて登山用の服を買ったのは、高校の山岳部に入ったときでした。登山と言うスポーツは、近代ヨーロッパに始まると言われていますが、日本においては宗教登山と言う形で、古代から高山に登る習慣がありました。
そもそも、生活上何の必要もないのに、わざわざ危険を冒して高い山に登ると言う行為は、何らかの精神作用のなせる技であり、日本では山岳宗教、ヨーロッパではアルピニズムと呼ばれる精神性の高いスポーツとして発達してきました。
そして、現代の商業登山が盛んになる前は、アルピニズムの担い手たちは、自分でお金と暇を持っていた人々、つまり貴族とジェントリ層が中心で、一種の貴族趣味、ダンディズムの中で育まれてきました。
高校時代、筆者の住んでいた街は、かつて貿易港として栄えたところでしたので、そういったダンディズムや貴族趣味、異国趣味に対する憧れが幽かに残っていました。
筆者も当時、ヨーロッパ趣味のチロリアンハットや登山服などを買い揃え、登山靴も無理をしてヨーロッパ(ドイツ)製の革靴を手に入れて日々大切に磨いておりました。
ちなみに、ダンディズムにおけるおしゃれと言うのは、少し偏屈なところがあり、新品や流行をむしろ軽蔑し、少し着古したものや、多少の汚れや傷があっても大切に使われている道具類を尊重します。
従って、頭のてっぺんから足のツマ先まで新品で揃えたニュー・カマー達は、最低のランクに位置付けられ、そこから、月日を経て、大貧民から貧民、そして平民と言う風に這い上がってゆきます。
さて、アウトドア用の衣料ですが、筆者自身は結構アメリカ贔屓のところがあるのですが、こと服飾に関しては、残念ながらアメリカ製は、日本製やヨーロッパ製に比べて遥かに見劣りすることを認めざるを得ません。
これはあくまで筆者自身の主観ですが、どうも、アメリカ製は、楽に着れて、着心地は最高なのですが、シルエットやデザインが最低です。同じ金額の服を買うなら、やはり日本製やヨーロッパ製でしょう。
この違いは、服飾に対する思想の違いから生まれてくるのだと思います。美味しい物を我慢してでも着たい服を着ると言うのが女の美学であるとすると、ダンディズムは、やせ我慢の哲学です。
また、アメリカなどでは(最近は日本でもそうですが)、いかにも着古して色あせた様に見える工場直送の新品が店頭に多く並べられていますが、これなどは、ダンディズムとは真逆のアプローチです。
あるいは、アメリカ合理主義の最高の発露という見方もできます。古着を最も低コストで集める方法は、古着を新品として大量生産すれば良いと言う発想であり、それを良しとする顧客がいる以上、詐欺でもなければ立派なビジネスでしょう。
と言うわけで、筆者は、問題のテロ支援企業の服を含めアメリカ製のアウトドア用衣類は、いっさい持っていないはずでした。
ここで「はず」と書いたのは、実際には持っていたわけで、友人と会った後、家に帰りタンスの中を調べてみると、問題の企業製のフリースが出て来ました。
すっかり忘れていたのですが、以前、出張先のホテルの中の店舗で、防寒用として買ったものでした。ただ、その後、完全にタンスの肥やしと化しており、この際、処分することにしました。
処分と言っても、捨てたわけではなく、靴磨き用の布きれとして使っておりますが、さすがに汚れがきれいに落ちます。
考えてみますと、いったん買ってしまった後であり、問題企業やテロ組織にとっては、こちらが捨てようと靴磨きに使おうと、痛くも痒くもない話ですが、「XXXX(問題の有名ブランド)のフリースは最高だよ、靴磨きに」などと言うスノッブなジョークが言える資格ができ、少し悦に入っております。
今月になって、アメリカ次期大統領選がヒートアップして来て、アメリカ人たちはかなり盛り上がっております。
傍目には、非常に楽しそうであり、知り合いのアメリカ人に、ストレートに、「楽しそうだな?」と聞いてみた所、ちょっと渋い表情になり、「楽しいんではなく、これ以外にアメリカの将来に期待できる事がないからだ」と呻いていました。
この発言に、果たして、日本人として同情すべきか、あるいは、羨むべきかは意見の分かれる所でしょうが、1つ言える事は、アメリカの組織は、それが政府や会社であろうと、あるいは、もっと小さなセクションであろうと、トップが変わると、がらりと内容も変わる事ができる点です。
管見では、イギリスの組織もそういう傾向があり、それに対し、日本は言うまでもなく、フランス・ドイツの組織もなかなかトップの言う事を聞きません。
ドイツやフランスでは、意思決定は、ある程度、組織的コンセンサスを経て行われる傾向があるのに対し、歴史的に最も早く議会制民主主義が発達した国、イギリスは、かえって、トップの独断的決断を尊重する傾向があるようです。
従って、英米系の組織では、トップの決断にそった移行が素早く行われる事が特長的で、周りも、しばらくの間は、変化を静観する傾向があります。そして、この特長が、素早い変化が要求される分野やタイミングには、英米型組織の強みとなっているようです。
しかしながら、組織が巨大化してくると、英米型組織でも、変化が素早く行えなくなってきており、俊敏さ(アジリティ)をいかに維持し、高めるかは、大きな課題になってきています。
日本においても、アジリティは重要な課題ですが、英米系で議論される方法論に加え、文化的障壁も考える必要があります。
かつて、第二次大戦後の最初の首相、吉田茂氏は、きわめてワンマンであったという悪評がありますが、その基準でいくと、アメリカの大統領を含め、大部分のアメリカ型の組織のトップは、大ワンマンになります。
また、ワンマンという言葉が、悪い意味になるのも、かなり文化的判断が入っています。果たして、吉田茂氏が、あの当時、ワンマン以外の方法で、難局を乗り切れたかどうかは、かなり疑問です。
現在、日本型組織、特に官僚組織は、かなり時代遅れなものになってきてるのは、誰の目にも明らかになってきていますが(ただし、当事者である役人たちの目は除いた方が良いかもしれませんが)、おそらく、方法論だけの議論では不十分でしょう。文化的側面にメスを入れ、この分野での議論を行う必要がありそうです。
アジリティと組込み系開発
組込み系開発は、要求される品質水準も高い上に、頻繁な更改を必要とする局面が多く、メンテナンスの品質と言う問題は、多くの企業にとり、非常に頭の痛い問題です。
組織によっては、大部分のエンジニアが、メンテナンス作業に張り付き、新しい技術の研究開発が全く行えなくなったり、また、ソースコードを担当別に分けた結果、担当者以外には誰も分からないものになってしまっているといった事態は、けっして珍しいことではありません。
また、変更を直接ソースコードに行う事も、それほど珍しくありません。
設計図を用いたメンテナンス
あえてオブジェクト指向とかUMLとか言う言葉出さなくても、歴史的には、こういった問題は設計図を用いたアプローチ、つまりモデルを用いた方法で、かなり状況が改善される事が知られていました。
オブジェクト指向という言葉がない時代から、ソフトウエア・アーキテクチャという言葉は存在し、その頃から、設計者たちは、図形や表を用いてソフトウエアの構造を設計していました。
そして、メンテナンスの際も、設計図にあたりながら、問題が、設計上のバグなのか、コーディング上のバグなのかを峻別し、前者であれば、設計変更を行う形で問題をフィックスして行きました。一見、回りくどいやり方ですが、最終的には、この方法が品質的にもコスト的にも最前である事が、知られてきています。
そして、フィックスしたコードのテストも、設計図を元に行います。今はやりの、モデル・ドリブン・テストの原型が、オブジェクト指向以前からありました。
設計図を利用しないテストでは、テストそのものがブラックボックス型になりやすく、テスト・カバレッジが悪い傾向があります。
また、リリースアップ等の場合も、直接ソースをいじるのではなく、設計図を書いて行う方が、最終的には、素早く安全に行える事が知られていました。
オブジェクト指向/UML化
オブジェクト指向以前のソフトウエア設計図を用いた方法でも、いきなりソースコードのみをメンテナンスするよりは、一定の効果が得られますが、問題も残っています。
一つは、設計者ごとに書き方がバラバラで、他の人が非常に読みにくい事で、これはメンテナンスをチームで行う上での大きな障害となっていました。また、2つ目は、設計方法にばらつきがあり、ソフトウエアの強度の水準の維持が難しい事です。
また、書き方がバラバラなために、設計ツールがなく、必要なら自分で作らなければなりませんでした。
90年代以降、欧米の開発現場で、オブジェクト指向が急速に受け入れられてきた背景には、この種の問題に解決策を提供する事が明白になってきた事が、挙げられます。
UMLを使う事により、モデリングおよび表記法が統一され、また、自分で開発ツールを作らなくても、市販のツールを利用する事ができます。
そして、オブジェクト指向設計のアプローチにより、モジュラー構造やコンポーネント構造が半ば自然にとられ、ソフトウエア強度が上がり、品質も格段にあがる事が、明白になってきました。
そして、企業の生命線であるアジリティも、品質を確保した上で、向上する事が、広く認められるようになってきました。